2017年3月6日月曜日

ウルク

Zunkir(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/64/Meso2mil.JPG)

年代:BC4000-BC1800頃

●シュメールの都市国家「ウルク」

メソポタミア最南部に位置する、シュメールの都市国家。「イラク」という国名の由来にもなったといわれる。
「英雄王」ギルガメシュや、シュメールの都市国家のほとんどを支配下に置いたルガルザゲシ、さらにはグティ人からシュメールを解放したウトゥ・ヘガルなど、重要な人物が多いことでも知られる。

●ウルク第1王朝(BC4000-BC2600)

メスキアッガシェルによって築かれたとされる。伝説的な王朝で、神話的な王が多い。
ウルク第1王朝の王であるギルガメシュは、都市国家キシュを打ち破ったと言われている。
ギルガメシュの活躍は、「ギルガメシュ叙事詩」に物語としてまとめられ、現在でも親しまれている。

●ウルク第2王朝(BC2600-BC2400)

ウルク第2王朝の最初の王であるエンシャクシュアンナは、「国土の王」を自称した。
これは人類が初めて「都市の王」ではなく、「領地の王」を名乗った瞬間であった。
その他にも、ルガルキギンネドゥドゥは、100年にも及んだ「ラガシュ・ウンマ戦争」においてラガシュ側に付き、漁夫の利を得たという。

●ウルク第3王朝(BC2400-BC2350)

ウルク第3王朝の王は、ルガルザゲシ一人と言われている。
ルガルザゲシは、元はウンマの王であったという。ウルクを征服した後、ウルク王を名乗った。
彼はシュメールの都市国家のほとんどを手中に収めたが、後にアッカド王サルゴンに敗れ、ウルクはアッカド帝国が支配することになる。

●アッカド帝国時代(BC2350-BC2250)

アッカド王サルゴンは、シュメールのほぼ全域を支配した。
アッカド帝国の支配下においても、ウルクは重要な都市であったと考えられる。

●ウルク第4王朝(BC2400-BC2350)

アッカドが滅びた後、しばらくの間、力を持っていたと考えられている。
後にグティ人に侵攻され、無政府状態の暗黒時代が幕を開けることとなる。

●グティ王朝時代(BC2200-BC2070)

アッカド帝国崩壊と共にメソポタミアに侵入したのが、グティ人である。
彼らはグティ王朝を建て、シュメールの都市国家のほとんどを支配した。
グティ王朝時代は混乱の時代とも言われ、無政府状態に等しかったと考えられる。
この時代、シュメール王名表に「誰が王で、誰が王でなかったか」と記されていたことからも、当時の様子がよくわかる。

●ウルク第5王朝(BC2070-BC2050)

ウルク第5王朝の王は、ウトゥ・ヘガルただ一人である。
ウトゥ・ヘガルは、暴政を布いていたグティ人からシュメールを解放したとされる。
ウトゥ・ヘガルの死後は、その近親者と考えられているウルの将軍、ウル・ナンムがウル第3王朝を起こし、ウルクはその支配下に入った。

●ウル第3王朝時代(BC2050-BC1950)

ウル第3王朝時代には、ウル・ナンム法典と言われる世界最古の法典が出来るなど、文明の発展が進んだ。

●イシン第1王朝時代(BC1950-BC1860)

ウル第3王朝が弱体化すると、群雄割拠の時代が到来した。
イシン・ラルサ時代と呼ばれるこの時代、ウルクはイシン第1王朝の支配下にあった。

●ウルク第6王朝(BC1860-BC1800)

イシンの弱体化に伴いウルクは独立を果たす。
しかし、実態はラルサの属国とも言える状態であった。
バビロン第1王朝の台頭に伴い、バビロンと結んでにラルサに対抗したものの、敗北する。
ここに独立国家としてのウルクは滅亡した。

●その後のウルク

独立国家としてのウルクは滅亡したものの、その後もウルクは経済的に重要な拠点であり続けた。
バビロニアやアッシリア、マケドニアなどの国家もウルクを重要視し、活用した。
サーサーン朝の支配下に入るとウルクは放棄され、衰退していった。