Babur~commonswiki(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f9/Ebla_ziggurat.jpg)
年代:BC3000-BC1600頃
●商業的な都市国家「エブラ」
現在のシリアに存在する、都市国家の遺跡。2回にわたって、大きく栄えた。
15000枚にも及ぶ粘土板が発見されたことで有名。
エブラはイブリウムの治世の間に最盛期を迎えたが、彼は選挙で王を選ぶという慣習を破り、自分の息子を王位に就けた。
そういった専制政治が、衰退に繋がったともいわれている。
15000枚にも及ぶ粘土板が発見されたことで有名。
エブラはイブリウムの治世の間に最盛期を迎えたが、彼は選挙で王を選ぶという慣習を破り、自分の息子を王位に就けた。
そういった専制政治が、衰退に繋がったともいわれている。
●エブラ第1王国時代(BC3000-BC2300)
エブラ最初の時代であり、エブラが最も繁栄した時代でもある。
商業の重要な拠点として栄え、同じく商業的な都市国家であるマリがライバルであった。
イブリウムやその息子、イッビ・スィピシュの治世の間に全盛期を迎えたが、その後衰退していった。
エブラ第1王国滅亡の理由は明らかではないが、慣例破りである世襲王政の導入や、王の権利の拡大など、専制統治による影響ともいわれている。
また、アッカドのサルゴンやナラム・シンにより破壊されたとする説も有力である。
その他にも、マリとの長きに渡る戦争の末、一時はマリを征服したものの、反攻を受けて滅亡したという説もある。
Sémhur(https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/81/Second_Eblaite_Empire.png)
イビット・リムによって建てられた王国。
その後、エブラは村として存続していたが、7世紀には放棄された。
それから1200年もの時が流れ、1964年、ローマ・ラ・サピエンツァ大学の考古学調査チームによって古代都市国家としてのエブラが発見される。
商業の重要な拠点として栄え、同じく商業的な都市国家であるマリがライバルであった。
イブリウムやその息子、イッビ・スィピシュの治世の間に全盛期を迎えたが、その後衰退していった。
エブラ第1王国滅亡の理由は明らかではないが、慣例破りである世襲王政の導入や、王の権利の拡大など、専制統治による影響ともいわれている。
また、アッカドのサルゴンやナラム・シンにより破壊されたとする説も有力である。
その他にも、マリとの長きに渡る戦争の末、一時はマリを征服したものの、反攻を受けて滅亡したという説もある。
●エブラ第二王国(BC2300-BC2000)
イビット・リムによって建てられた王国。
アムル人の国家で、当時重要な都市国家であった。エブラ2度目の繁栄の時代と言われている。
しかし、紀元前1600年頃に、ヒッタイトによって破壊される。
この破壊からは立ち直れず、以降は小さな村として存続することとなる。
●その後のエブラ
それから1200年もの時が流れ、1964年、ローマ・ラ・サピエンツァ大学の考古学調査チームによって古代都市国家としてのエブラが発見される。