年代:BC1953-BC1730頃
●ウルの滅亡後、最大の王国として栄えた「イシン」
イシン第1王朝の始祖であるイシュビ・エッラは、元々は
ウル王イビ・シンの配下だったという。
イシュビ・エッラはイビ・シン王に命じられてイシン市に食料調達に出かけたが、イシンで反旗を翻したとされている。
ウル第3王朝滅亡後、イシンはウルを占領したエラムと戦いを重ね、ついにエラムを撃退した。
イシンは南部メソポタミアで絶大な力を持ったが、徐々に新興国家である
バビロン第1王朝や
ラルサに圧迫され、ついにラルサによって滅ぼされた。
●その後のイシン
イシンに勝利した
ラルサであったが、まもなく
バビロン第1王朝のハンムラビ王に敗れ、滅亡した。
以後、イシンはバビロンの重要都市として繁栄した。
紀元前1150年頃、マルドゥク・カビト・アヘシュによって、イシンは再び独立した。
これがイシン第2王朝とされているが、バビロンを拠点にしていたため、バビロン第4王朝とすべきだという見方もある。
イシン第2王朝の王であるネブカドネザル1世は、エラムに壊滅的な被害を与えるなど大きな功績を残した。
しかし、アッシリアの勢力拡大に伴いイシン第2王朝は衰退してしまった。